■ パナリ焼き |
・1857年まで新城島でのみ焼かれていた八重山最古の土器「パナリ焼」です。
・昔、島に漂着した中国人男性が伝承したと言われています。
・新城島の赤土は焼き物にはむかないため、何かを混ぜなければなりません。しかし製造方法が現代に伝えられていなかったため、復元にはかなりの試行錯誤があったようです。
・1979年に下パナリ島で復元された土器は竹富島の「蒐集館」、西表島「民宿あけぼの」内「パナリ焼展示館」に展示してあります。
・復元にあたり古謡「パナリ焼アヨウ」が参考になったそうです。歌詞は「ピー三日干シサラシ、ピー五日干シサラシ、赤土バクナシ、白土バクナシ」です。
・製造方法に関して、以前は「蔓草・タブノキ樹液を赤土に混ぜ、手びねりで形成し、貝肉・蝸牛の粘液を擦り込み、茅をかぶせて野焼きしたのではないか」と言われましたが、最近では「赤土に焼いた貝の粉を混ぜたのではないか」とされています。焼かない貝の粉を混ぜても割れやすいし赤くもならないそうです。
・素焼きの壷に水を入れると、水が壷の表面に染み出し蒸発するため、気化熱で冷えて水が腐りにくくなります。水が漏れないはずの壷を、漏らすことで水を長持ちさせるとは、よく考えられていますね。
・下地島の古墳周辺では、かつて土器の陶片が転がっていたそうです。
・パナリ焼きは今ではネットで買うことが出来ます。
(竹富島/蒐集館)
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