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原色マユビト図鑑

(2009 コカ 「原色マユビト図鑑」 ワード)

マユビトの繭人形は、越後妻有・蓬平の「繭の家」のミュージアムグッズです。

・「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」において、「まつだい雪国農耕文化村センター農舞台」「キョロロ」「キナーレ」「繭の家」にて販売しています。

・「大地の芸術祭」期間外においては、「農舞台」「JR越後湯沢駅(2009/12/19~)」にて販売しています。

・おかげさまで好評につき、品薄状態が続いています。ありがとうございます。

・利益はすべて地元に還元されています。

・「原色マユビト図鑑」は、マユビトの解説です。

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マユビトに使われている繭は、すべて蓬平集落で養蚕してできたものです。またマユビトの繭人形も蓬平集落のお母さんがたが1つ1つ手作りしたものです。蚕を育てるところから始めるため、急な増産ができません。もうしわけありません。

・かつて地域の産業であった養蚕が、「大地の芸術祭」で形を変えて復活し、継続的に生産するに足るグッズ販売量に達することができたのは、「養蚕プロジェクト」にたずさわる者として、うれしい限りです。

・蓬平集落にはお店は1軒もありません。自販機すらありません。つまりいくら人で賑わっても、蓬平集落にお金が落ちる仕組みにはなっていません。そこでマユビトを考えました。マユビト制作を時給で計算すると、もうとても信じられないくらいの薄給なのですが、少しでも地元にお金が落ちたらいいなと考えています。

・マユビト1体500円の売価として、組み立てるのに早くて30分かかります。すべて売れたとして1時間1000円の売上です。そこから販売手数料を何割か引き、材料費を何割か引くと、どれだけも残らないのがわかると思います。しかも、組み立てるだけではなく、蚕から育てているわけですから、組み立てる以上の時間と手間がかかっているわけです。

・人件費も材料費も安い外国で作ればもっと利益は出るでしょうが、それだと地方の芸術祭の意味がありません。

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・「マユビト」という名称は、「マレビト(客人、稀人)」と「繭」の造語です。「マレビト」とは、集落の外からやってきて、去っていく来訪神をさします。また神の格好をした芸能者も「マレビト」と呼ばれました。「大地の芸術祭」では、新潟県外からも多くの作家さんやお客さんが来られます。そこでグッズには「マレビト」という単語を連想する名称をつけようと思いました。

・日本には「鐸(サナギ)」と呼ばれる神器があります。玉の入っていない鈴のようなもので、日本史の教科書に必ず登場する「銅鐸(ドウタク)」が有名です。風が吹き込むことで、かすかに音が鳴るしくみになっています。その「鐸」が「器(ウツワ)」の原型といわれています。

・ウツワの「ウツ」はウツロの「ウツ」です。そして日本には「ウツロなものから何かが生まれる」という思想があります。例えば空っぽのものに神が宿ったり(依代:ヨリシロ)、竹の中に赤ん坊がいたり(竹取物語)。

・鐸(サナギ)は、昆虫の蛹(サナギ)にも通じます。中身が何もないように見える蛹から蝶が羽化するからです。

・繭はウツロであり、サナギも入っているので、繭を使ったグッズを作るならば、魂を宿したキャラクターグッズがむいていると考えました。実際、繭は無機質な工業製品ではなく、蚕の命の形とも言えますし。

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・日本語の基本リズムには「四音」がかかせないそうです。「リストラ」や「コンビニ」など、短縮形に四文字が多いのはそのためだそうです。そこでマユビトの名前も親しみをもってもらうために全て四文字にしました。

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・日本の妖怪や九十九神(ツクモガミ)は、人の理解を超える現象や自然への畏怖が具現化したものです。言い換えれば、「謎で説明できないもの」を、「謎の存在として説明したもの」です。「百鬼夜行」「遠野物語」「鬼太郎」など、日本人は妖怪を身近に感じてきました。

・現代において、宇宙人の存在は信じても、妖怪の存在を信じる人は少ないでしょう。一方で疑似科学や未成熟科学を用いた健康法や実用書が巷に溢れてかえっていたり、無宗教の人でも毎朝の占いを気にしたり、メッカ年間巡礼者数をはるかに超える人が初詣に行ったりします。これは、「人間は何かを信じたい、願いたい生き物である」ということにほかなりません。害のないものならまだしも、科学のふりをして悪徳商法をするのはいただけません。

・それに比べて妖怪はもともと怪しい存在であり、禍福の二面性をもっており、厳格な宗教教義もなく、娯楽性すらあります。「となりのトトロ」が示したように現代においても、妖怪は人生の困難さを緩和する役割(移行対象)を果たすと考えます。

・現代の創作妖怪は「口裂け女」とか「トイレの花子さん」とか怖いものが多いですが、マユビトは疑似科学的なことをマジメに実践して失敗したり、実用性の低い弱い不思議な力を持った存在にしようと考えました。人に信じられなくなった妖怪が、人が信じるようになった疑似科学を取り込むことで、占い程度の信頼性を回復し、かつ疑似科学への妄信にも懐疑的に客観視できるようになるわけです。

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マユビトは蓬平周辺の文化を紹介する役割も担っています。これは、一般的な地方キャラクターと変わりありません。違いがあるとすれば、性格を意図的に悪くしているところです。

・僕は「人間は生きるために悪いことを忘れやすくできている」と考えています。つまり「原色マユビト図鑑を読んだ人が、時間の経過とともにマユビトの悪い性格は忘れても、蓬平周辺の文化についての記憶は残るのではないか」と考えたわけです。あえて性格解説に読み飛ばすような難解な単語や理屈を入れたり、名前に欠損概念を含む単語を使いました。

・記憶から「姿が消える」という意味で、マユビトは妖怪なのです。

・ただ、「妖怪」という単語は悪いイメージが強く、子供の「夭怪」という単語は馴染みがなく、「精霊」は日本では「祖霊」をさすので、日本の民間信仰にない「妖精(トロール)」を使うことにしました。

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マユビトの性格は当初友人・知人・元彼女などをモデルにしていましたが、悪い性格を後から肉付けしていくうちに、僕自身の色々な未熟さをあらわしたものが多くなってしまいました。

・「原色マユビト図鑑の作成」は、いつしか「自分の未熟さを体系化して把握する作業」となり、自分がいかに人々から助けられて生きているかを改めて認識することとなりました。同時に、マユビトも未熟な存在のオンパレードになりました。

・そして「未熟さゆえに助け合おうとするマユビト」が、「その未熟さゆえに人の助けにもなるのではないか」と考えるようになりました。あらためて、扶助行為とは余力でするのではなく、自らが足りないからこそ、他人の足りなさを身近に感じ、扶助するのではないかと感じたからです。

・「大地の芸術祭」はこへび隊やサポーターや集落のみなさんに支えられています。また作家だけでは絶対に作品は成立しません。マユビトが相互理解・相互扶助に役立つグッズになれたらいいなぁと願っています。

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・マユビトは芸術作品ではありません。作品はあくまで「繭の家」のほうです。マユビトは実用性もほとんどありません。旅行の思い出を呼び覚ます「お土産の置物」という装置です。民芸品が貝や木などかつて身近にあった親しみやすいものでできているのと同様に、繭でできています。張り子のような味のあるタッチはありませんが、かわりに性格の肉付けをしています。