「turnstyle」とは夜閒工房が作るフリーアートブックです。そこに「繭の家」に関する記事が載っています。
(写真解説)
蓬平集落の入り口から繭の家に続く小径。ここから見る集落の眺めは素晴らしい。
(上右)白銀の蓬平。一番奥の中央が繭の家
(上)雪解けの棚田。繭の家のすぐ裏
(左)夏山を彩る山百合
(下)雪が無くなると一斉に吹き出す山菜
(下右)杉木立に林立する「はぜ」
(上右)冬、ストーブには自家製のこんにゃく
(中)運が良ければ山菜のもてなしも
(下)繭の家の1階。映像を見ながらお茶を飲む
(上左)繭から引いた生糸
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かつて養蚕が盛んだった越後妻有地域も、既にその営みが失われて久しい。
2006年夏、蓬平集落の養蚕経験者の協力を得て、十数年ぶりに蚕を育てた。
そこで生産された繭の素材として、かつての養蚕農家を舞台に往時のざわめきを再現する試みは、失われつつある集落の記憶のみならず、日本人全体に共通する記憶の古層に光をあてることとなるだろう。
繭の家は、日本一の豪雪で知られる新潟県十日町市の蓬平という山里にある。かつてここは、信州から出稼ぎが来るほど養蚕が盛んな土地だった。しかし、時代の流れとともに養蚕業は衰退し、平成に入る頃には、この集落で「お蚕様(この地域では「ぼぼさま」と呼ぶ)」の姿を見ることはほとんどなくなってしまった。
第三回大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレの一環として、この蓬平で2005年から「繭の家-養蚕プロジェクト」がスタートした。集落の養蚕経験者の協力のもと十数年ぶりに蚕を育て、かつて養蚕農家だった空家を改造して、繭の家は2006年秋に完成した。そこには養蚕の記憶をテーマにした三点のインスタレーションと一点の映像作品が配置されている。
蓬平は、見事な棚田とブナや杉の木立に囲まれた「これぞ日本の原風景」でもいうべき美しい集落で、約50戸、150人ほどの人がここで暮らしている。
春には集落のあちらこちらで山菜が芽を吹き、ショウジョウバカマなどの美しい花が咲き、棚田にはサンショウウオが卵を産む。夏にはブナの林が緑に満たされ、夜には蛍が舞い飛び、蛙の大合唱。秋は棚田が黄金色に輝き、刈り取られた稲穂が「はぜ」という巨大なオブジェとして至る所に林立する。十二月から四月にかけては長い冬。この間は三メートルもの深い雪に閉ざされるが、人々は秋までに蓄えた農作物で日々の食卓を彩り、薪ストーブと炭火の炬燵を囲んで静かに暮らす。もちろん雪かきは重労働だが、晴れた日の集落は眩しいほどの白銀に輝き、とても美しい。そして「赤っぽい雪」が降ると春が近いことがわかるという。集落の近くには、芝峠温泉「雲海」もあり、一年中人が絶えない。
繭の家は、この蓬平集落の一番見晴らしの良い高台に位置している。
木漏れ日の美しい小径を通り抜けて、繭の家に辿り着くと、そこで集落の方(おそらくは集落のお母さん方)が、きっとあなたを出迎えてくれるだろう。二階にある作品を一通り見終えて一階に戻ると、お茶と、時々は地元のお漬物が用意されている。できればこのタイミングでお母さん方にいろいろと話しかけて欲しい。一階に展示されている養蚕用具や映像作品に触れながら、かつて養蚕とともにあったこの地の暮らしについて、生き生きと語ってくださるはずである。
その昔、集落のどの家でも蚕を育てていたこと。家の中では足の踏み場もないほどたくさんの蚕がいたこと。蚕の世話に追われてどこにも行けなかったこと。蚕が病気などで全滅してしまわないかと心配で夢でうなされたこと。夜寝静まると、蚕が桑の葉を食べる音が雨音のように聞こえたこと。自分で育てた繭からとった糸で自ら花嫁衣裳を織ったこと。繭は、米と並ぶ貴重な現金収入だったこと。
この場で語られる様々な記憶や思いが、作品とともにこの古民家に充満している。
そうした空気を感じつつ、ここでは集落の方との交流を楽しんで欲しい。お母さん方とおしゃべりをしながら、お茶を飲み、景色を眺めつつほっこりし、かつてここにあった養蚕風景に思いを馳せる。それが繭の家の時間である。