(コカ 2003 卒展 「ミーカガンかけ」 B5 珊瑚 モデリングペースト ミーカガン他)
・「turnstyle(2008)」に載っています。
・ミーカガンとは、沖縄の漁師「海人(ウミンチュ)」の水中眼鏡です。糸満の漁師が発明しました。水泳のゴーグルのもとになったものです。
・防風林にあるモンパの木を削り、ガラスをペンチで割って丸くし、隙間に絹糸をつめ、上から蝋を塗り、タイヤチューブのゴムをつけています。ブリコラージュを越えています。すばらしい!
・上から1つ目は、石垣島の「依光釣道具店(既に商売はされていない)」の倉庫を探してもらって出てきたホンモノのミーカガンです。本島、宮古島、石垣島の主要な釣道具店全てに電話したところ、ココだけに残っていました。ありがとうございます。
・上から2つ目は、国際通りの「海想」のお土産用のミーカガンです。飾り用なので、幅が小さく装着することはできません。石垣島白保の新城サバニ館を運営している船大工の新城康弘さん制作だそうです。
・上から3つ目は、石垣島の「南嶋民芸」の復刻版のミーカガンです。ホンモノを作っていた人(糸満在住)が作っているわけだから、ホンモノといえばホンモノです。
・上から4つ目は、石垣島離島さんばしの「スーパー磯」のお土産用のミーカガンです。おそらく海外製です。
・ぶら下がっている魚は、僕が学生時代愛用していた嗅ぎ煙草ケースの一部です。ネパールの「目玉の寺院」風の配置でぶらさげてみました。
・サンゴは池間島で拾いました。こういうのを作るために、小さいサンゴを選んで拾いました。隙間はモデリングペースト、ジェッソで埋めています。
・ガラス製の浮き球(浮き玉)なので、ビン球(ビン玉)というのでしょうね。
・「turnstyle(2008)」に載っています。
(2008 たけちゃん 「過去の写真」 A4)
・「turnstyle」に載っています。
(本文)
先輩のSさんが結婚するというのでSさんと僕との交流について思い起こしてみたのだが、どうしても過去のウエイトが大きい。彼が十数年来海外に行っていてほとんど会っていないからだ。
結婚式の2次会の幹事からスライドに使うから彼の昔の写真を探してほしいと頼まれたが、彼が写っている写真はほとんど出てこなかった。当時は何枚か撮ったのだがナルシストの彼は自分の写真を見るとすばやくアルバムから抜いて持っていってしまうのだった。だから僕の手元にはほとんど残っていない。
代わりにその頃に撮った他の人たちの写真がでてきた。せっかくなのでここに挙げることにする。
彼女は六甲にあった喫茶店「エクラン」のママだ。
彼女には3回だけ会った。
1回目はこの営業しているのかしていないのかわからない古い喫茶店の写真を撮ろうと思って初めて店に入った時。初めて会うのにいきなり「あなた、この間も来た人やね」と言われた。誰か他の人と間違えられたのだろう。店内の写真をひととおり撮ってなんとなく帰らずにいると冷蔵庫からサイダーを出してくれた。年を聞くと89才だった。そのまま、上がり座敷の端に腰掛けて長々と昔の話をしてくれた。
2回目はその店の2階で仲間と忘年会をした時。スキヤキだった。
3回目は阪神大震災の日。傾いた店のドアを開けて入ると、無茶苦茶になった店の中で、彼女は一人で上がり座敷に腰掛けて頭から毛布をかぶって茫然としていた。しかし彼女は普段から茫然としている風だったのでいつもとあまり変わらないようにも見えた。
2、3日後もう一度様子を見に行くと、彼女はいず、テーブルの上に大量のキャットフードが山のように積み上げられていた。
それ以来会っていないが今も生きていれば103才か104才になっているはずだ。
水木通りにあったこの喫茶店「あーすくわれ」は人の家のようだった。
薄暗い店内は実家の暗かった食堂を思い起こさせた。
客にコーヒーを出したあと店主である彼女もその辺の空いたテーブルに座って帳簿か何かつけていた。
無口なおじさんもいて、離れみたいな部屋に座って絵葉書とか売っていた。
写真を撮らしてください、というと
「じゃあ、口紅塗るわね」
といって口紅を塗ってきてくれた。おかげでいい写真が撮れた。
これも14年前の写真だ。
大学生の時、とある小劇団の写真係をしていた。団長も団員もほとんど大学生。当時はそんな小さい劇団が星の数ほどあった。
彼女はその団員の一人で、バイトをしながら夜間大学に通い、芸能プロダクションにも所属していた。僕と同じ年の彼女のそのバイタリティには圧倒された。
彼女は美人だったがとても小柄で、女優になるには小さすぎるような気がした。そのせいか、とてもよく食う人だった。公演の打ち上げの席などでひたすら食べているのをよく目にし、その旺盛な食欲にもまた圧倒された。沢山食べて大きくなろうとしていたのではないか。
劇団の仕事の合間に個人の売り込み用のポートレートを頼まれてよく撮った。いつもカメラを見る目がカメラを通り越してすごく遠くを見ていたのが印象的だった。
(2008 井上真喜さん 「「愛」について」 A4)
・「turnstyle」に載っています。
(本文)
「愛」について
ずっとずっと、
「愛」というものは、
時間をかけて
少しずつ成長するんだと思っていた。
でも、違うんだな。
「愛」って突然に
たちまち出来上がってしまうこともあるわけ。
あぁ、びっくりした!
恋をすると
たくさん詩ができる。
私という小さな容れ物の中で
喜びと
落胆と
迷いと
妄想が
繰り返し波立ち、
泡立ち、
増幅しては沸騰する。
そのエネルギーは、
私のいたるところにヒビ割れを造り、
遂に
言葉となって吹きこぼれるのであります。
宇宙を人間の体に例えると
私は、足の親指の
つけ根あたりの細胞になるのかな。
一細胞の暮らしに要るものは、
すべて全身から運ばれてくるように
私に本当に必要なものは
何もかも、
宇宙全体から運ばれてくるに違いない。
ただし、
一細胞としての機能を
ちゃんと果たしていれば、の話。