« 2006年08月 | メイン | 2006年10月 »

好きな作品1

2006年09月30日 大地の芸術祭

前回はあまりに力こぶを入れた文章をかいてしまって、あとで読んでみると恥ずかしかった。
まだ芸術祭終了の興奮覚めやらぬ時期だったので、お許しください。
そこで、今回はもっと気楽に、今年の芸術祭で気に入った作品を何点か紹介したい。

まずは半田真規「ブランコはブランコではなく」。
太く長い竹を組んだだけのブランコであるが、中里地区の清津川流域の絶妙なポイント(田んぼや神社など)に20基設置されている。
ブランコで風切るのはいくつになっても楽しいこと。
それが田んぼの上であったり、広大な河岸段丘風景であったりすると、さらに気持ちいい。
作家のロケーションを見る目(何をみせたいか)が作品の重要な要素である。
造形的にも祭りなどでよく見る竹の組み方をイメージさせ、とても土俗的で興味深い。
実は最初は、ときどき見かけるこども受け狙いの作品かと思ったが、全然そんなことなく、大人も子どもも楽しめる秀作でした。

続いては古郡弘「みしゃぐち」。
前回の芸術祭で住民と共にたんぼの土を積み上げて砦のようなランドアートを築いた作者が、今回は同様の路線ながらも、さらに建築的な作品をつくりあげた。
泥捏ね、土遊びと言えば、手仕事のスケールであるが、それが巨大な塊となった驚き。
オブジェとか、彫刻とか、建築とか、そういうカテゴライズについて考える意味を失わせるほどの迫力があった。
沖縄の斎場御嶽(せーふぁーうたき)にも通じる場の力を感じさせる作品。

(みしゃぐち遠景 小高い丘のような外観)

(みしゃぐち内部 ぐるりと回廊に囲まれている)

(みしゃぐち内部 回廊の中央は屋根がない)

関口恒男「越後妻有レインボーハット」。
森に囲まれたキャンプ場の一角に現れたわらぶき屋根の小屋。
手前の池には鏡が沈められており、そこに差し込んだ日光が反射して小屋の天井に虹を映し出す。
小屋の中には、インドのゴアなどを渡り歩いたという関口さんが太鼓を叩き、歌を歌い、レイブパーティーを開く。
関口さん本人とは、会期前、よく宿舎で一緒になり、お話もしたが、すごく穏やかで魅力的な人だった。
会期中は全ての日に現場におられて、鏡の角度を調整されていたとのこと。

最後のピースが嵌め込まれると、電流が走る

2006年09月16日 大地の芸術祭

大地の芸術祭は、参加したぼくにとって、これまでにない新鮮な体験だった。
これまでぼくが何度となく都会で開催した、どの展覧会とも違う反応がそこにはあった。
どうして大地の芸術祭は、あそこまで魅力的だったのか。
都心から何時間もかかるあのような山奥に、なぜ30万人の人が押し寄せたのか。
美術ファンのみならず普段、現代アートに縁のない人たちにどうして受け入れられたのか。
本欄はそんなことを考える「大地の芸術祭論」としたいところであるが、そこまで大上段に構えるのも荷が重いので、「大地の芸術祭あれこれ」と題して、時々思い起こしたことを書き連ねようと思う。

まずは、この写真を見て欲しい。
これは今回の芸術祭の目玉だった、クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマンの「最後の教室」の1室。
廃校になった校舎全体をつかった大規模なインスタレーション作品である。
棺桶のようなガラスケースが並べられた白く清浄な空間。
一番奥の壁面には、剥がされた黒板の跡と、意図的に残された張り紙「本をひらけばみんな友だち」が。
遠くから聞こえる心臓の鼓動音とも相まって、見る者の胸を揺さぶる。

大地の芸術祭の作品が、通常の美術展と大きく異なるのは、このような「場の記憶」と密接に結びついた作品が多かったことである。
普段我々が美術館で作品を鑑賞する行為は、作品を虚構として了解することを前提としている。
多くの美術作品は(ドナルド・ジャッドの「特殊な物体」的なコンセプトの作品を除いては)何かを再現したり、作者の内面の世界を表現したものである。
少なくとも作品は、美術館という制度枠の中で、外界から切り取られて屹立している。
見る側は、特に意識することなくその制度を了解し、ちょうど動物園で虎の檻や、アシカのプールをのぞき込むようにして、作品を見ている。
しかし、大地の芸術祭は、サファリパークなのだ。

大地の芸術祭に参加する作家は、まず作品が置かれる場を読み取ろうとする。
そこで語られるべき記憶、歴史、人々の思いを丹念に発見していく。
ボルタンスキーの場合は、学校だった。
そこでかつて繰り広げられた、喧噪、笑い声、胸のときめき、仲間たちの存在。
私の場合は、蓬平集落の一時代を支えた養蚕業だった。
つらい桑取り、いやな臭い、蚕の成育の心配、美しい絹糸、自分で織った花嫁衣装。
国の農業政策によって切り捨てられ過疎化に歯止めがかからないこの地方には、語ってもらいたがっている地域の記憶、我々が昔持っていたはずの日本の原風景とでも言うべき記憶が無数にある。

作品は、そうした「うち捨てられようとしている場の思い」を顕在化させるきっかけであることが多い。
作品というピースが、場に嵌め込まれたとき、明らかに電流のようなものが走って、空間的・時間的に場全体に生命がみなぎる。
作品効果の及ぶ範囲(観る者が作品を通じて想起する範囲)は、現場である古民家や廃校を遙かに超え、集落全体、そして遙かな過去へとひろがっていく。
作品はただの切り取られた表現ではなく、観客が今いるその場全体を作品世界へとつなげていく。
それが大地の芸術祭の魅力なのだ。

(写真=繭の家-養蚕プロジェクト 作品C「雲の切れ間から」 小箱の蓋を開けると真綿と繭でつくられた蓬平の景色が広がる)

会期中の様子

2006年09月15日 1F/休憩室,資料室, 映像/繭の記憶, 桑の葉を揺らす雨, 繭人形/マユビト, 語りべ

開幕直後の繭の家。この頃はまだ、お客さんもあまり多くはなく、のんびりしていました。
奥で座っておられるのは、今回の養蚕プロジェクトで一番お世話になったご両人。
蓬平集落の区長さんと元議員の君男さん。
手前の受付机の脇には、集落の方が持ってきてくれた山百合が。
その向こうのちゃぶ台には、松之山の薬草バーからいただいた「桑酒」が。

会期中の午後は、ほぼ毎日のように集落のお母さんが会場当番に来て頂きました。
お母さんたちは、会場でお茶を沸かして、お客さんを冷茶やおつけものでもてなしてくれます。
これがお客さんには大好評。
また、お母さんたちの多くは養蚕経験者なので、お客さんに対して養蚕にまつわるお話もしてくれます。
こうして映像作品とも相まって、繭の家の1階は、生きたエコ・ミュージアムとなったのです。

床に繭を敷いているのも、地元の人のアイデア。
実はぼくが繭を大きなカゴに入れて飾っていたところ、
「そんなことしちゃ、湿気てしまうわよ、床に広げなくちゃ」とのことで、
こんな状態になりました。
そして会期終了まで、このままでの展示となりました。
しかし、結構この繭が匂いました。
繭の乾燥が不十分だったため、タンパク質特有の臭気が会場にほのかに漂います。
こうして繭の家は、視覚・聴覚・触覚に加えて臭覚にも訴えるアートとなりました。
奥にあるのは、繭のケバ取り機です。

養蚕や織りの道具も集落の方が持ち寄ってくださいました。
壁面の「まぶし」は、蚕の「入居率」が高かったものを区長さんがとっておいてくれたもの。
「きれいだから飾りゃいいと思って」とは、区長さんの弁。
白い壁は、地元産の井沢和紙です。

その翌週、会場に「回転まぶし」がつり下げられていました。
これは、蚕が上へ登る習性を利用して、均等に蚕が繭を作るようにする道具です。
蚕が上に固まって繭を張ると、その重みで回転し、新たな蚕は上方の空いた箇所に登っていくというスグレモノです。
そのようなお話を集落の方が、お客さん相手にしてくれるのが、日常風景となりました。

お花も切らせることなく、いつも綺麗に集落の花が生けられていました。
手前にさりげなく置いているのは、アーティストグッズである、CD「桑の葉を揺らす雨」。
2階の作品から流れてくる「1万匹の蚕が桑を食べる音」や、集落内の雪解けの音、鳥の声などが
蓬平産の真綿のカバーで包まれています。
結構好評で、ほぼ全て売り切れてしまいました。
(といっても、超家内制手工業で生産していたので、出荷数は80枚程度でしかありませんでしたが)


休憩コーナーに置いたコカ氏作の繭人形と、観察帳。
繭人形は、とても人気があって、これ売ってないのですかという質問が多かったです。

会期終盤には、お隣のおじいさんがこへび隊にあてた歌を色紙に書いて持ってきて下さいました。