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大地の芸術際2012 いくつかの作品を紹介1

2012年08月11日

 先週(8月4日、5日)他の作家さんの作品もいくつか見て回ったので、印象的だったものをいくつか紹介します。

 前回も書いたように、長野経由で妻有に入ったので、まず最初は津南をぬけて中里町の作品から見ていきました。
 JR飯山線は、2,3時間に1本しか電車が走っていない超ローカル線ですが、今回はそのうちのいくつかの駅が作品会場になっています。これは越後田沢駅のすぐ脇に設置されたN060「舟の家」(アトリエワン)とN061「未来への航海」(河口龍夫)です。富山湾から運んだ木造漁船が黄色くテロテロに塗られて、種子がびっしり生えています。隣の部屋には、お年寄りが使う杖がたくさん浮遊するようにぶら下げられていました。舟といえば、誰もがいやでもイメージが膨らんでしまう題材ですが、作者は何をどこへ運ぼうとしていこうとしているのか、またなぜ家の中に囲われているのか、そのへんが謎な作品でした。わからないので、ガイドブックを読むと、「ここから船出し、また帰ってくることを想像する」と書いていました。それで、家なのですね。


ちなみに舟の家の外観はこんな感じ。お隣では、EAT AND TARO さん(中央の麦藁帽子)が、E022「妻有フード記」というパフォーマンス作品を毎週土日に展開しており、この日は来場者に地元の人と一緒にちまきをふるまっておられました。おいしかったです。ちまき作り体験もできました。


越後田沢駅から車で5分くらいの、ブナ林の中にあるのは、N059「龍の尾」(イ・ソンテク/韓国)。これはものすごくよかった。静かな林の中に現れる突如現れるネッシーの背のような構築物。素材は、アジアを強く感じさせる瓦です。タイトルにあるように、地中の中を貫いてどこまでも尾が伸びていっているよう。秀逸でした。周りの林の佇まいも静かで木漏れ日も美しく、いつまでも眺めてみたかった作品でした。


 中里から車を走らせ、一気に今回の芸術祭のメイン会場であるキナーレへ。
キナーレは、この夏から「越後妻有里山美術館」としてリニューアルしましたが、その開館特別展示として企画されたのが、T231「No man's land」(クリスチャン・ボルタンスキー/フランス)。見ての通り、大量の古着が山となって積まれ、その古着の山の一角をクレーンが機械的につまんで、もちあげ、空中で放ちます。古着は、山の斜面を転がって下に落ちていきます。それが延々と繰り返されている作品です。

 この作品は、見る人によって評価が真っ二つに分かれる作品だと思いました。古着はボルタンスキーが90年代から繰り返し使用しているアイテムで、持ち主の不在(=死)を表しています。これほどまでの大量の古着が積み上げられた風景は、否応なしに大量虐殺や大災害による大量死をイメージしてしまいます。心が健康でない人、傷がある人には、観るには辛い作品かも知れません。(特に古着が転がり落ちる動きが死体を想像させます)
 作者は、東日本大震災や長野県北部地震を意識しているとのことで、「人間にとって一番残酷なのは、肉体の死ではなく、一人一人の名前が奪われ、人格が奪われ、忘却されることだ」とは、本人の言葉です。痛みと向き合うことで、他者への理解や共感を生むことは出来るか?美術に、この作品にその力はあるのか?人々を救済できるのか?・・・・そのあたりが評価のポイントだと思います。
 ちなみに僭越ですが、私自身、2007年、神戸ビエンナーレで同様のテーマの作品を作ったことがあり、そこらあたりの議論は夜間工房内でも散々しました。
参考URL http://yakan.tank.jp/coca/2008/01/post_227.html

 個人的には、今回のボルタンスキー作品には、いつものような「無条件な美しさ」を感じることが出来なかったので、私はあまり好きではありません。でも、イベントの看板作品に、いかにも祝祭空間にふさわしい感じの無難な作品を持ってこず、このような重い作品を選んでくるあたりが、現代美術イベントとしての越後妻有アートトリエンナーレの面目躍如たるところがあると思いました。


キナーレの内部空間は、回廊状の展示空間となっています。今回はそこに複数の作家の作品がぐるりと展示されていましたが、一番おもしろかったのが、T221「ゴースト・サテライト」(ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー/スイス)です。妻有を訪れた異邦人が、地域でセレクトしたモノを組み合わせてオブジェ化するという、言わばありふれた手法による作品ですが、このユニットの場合、その組み合わせの奇想天外さに思わずにやりとさせられることの連続でした。(写真は、パチンコ台と、襖と、しょいこと、ザルと、ラケットと・・・)
 キナーレでは、合宿所で一緒だったクワクボリョウタさんの作品T230「LOST」の妻有バージョンも大うけでした。きれいな写真を撮れなかったので、掲載できませんが、いつものLOSTシリーズと違って、「影」のもととなる生活用具がすべて古い民具でしたが、古くて土俗的な匂いのする民具の「影」が近未来都市のシルエットみたいに見えたのが新しい発見でした。


なお、キナーレでのお食事・休憩は、ぜひとも2階の「えちごしなのがわバル」で。2006年以来、何かとお世話になっている農舞台の里山食堂の長谷川繭さんが現在切り盛りされていますので、声を大にして宣伝しておきます。私は、トマトソースの冷製パスタをいただきましたが、とてもおいしかったです!天井にはマッシモ・バルトリーニの作品があって、気持ちのいい空間です。


ついでにもう一つ宣伝を。バルの横には、ミュージアムショップもあります。農舞台のそれに匹敵する規模の店舗で、品揃えもここでしか手に入らないモノが充実しています。我々の繭グッズ関連商品、マユビトはレジのすぐ横です。CD「桑の葉を揺らす雨」もその隣にあります。


 キナーレを後にして、松代方面に進路を移します。十日町と松代の境あたりにある「アジア写真映像館」にも寄ってみました。インスタレーションや巨大オブジェなどが目立つこのイベントなので、あまり平面作品には期待していなかったのですが、出展されていた4作家、どれも見応えがありました。写真はT244「妻有物語」(榮榮&映里)の一部。四季の妻有の自然の中で着物姿の人物が雪の中で這いつくばっていたり、正座していたりと、なんやら不思議な過去の物語を垣間見たような気分になる連作でした。


 D254「井沢和紙を育てる」(中村敬)。中村さんは、地元の特産である井沢和紙の職人さんと、新たな創作和紙を開発されていて、それを用いたインスタレーションを古民家で展示されています。和紙なのに、なぜがビニールのような艶が。不思議な感じがしました。



 蓬平の奥にある桐山にも、海外のビッグネームの作品があります。これは、D209「静寂あるいは喧噪の中で」(クロード・レヴェック/フランス)。実は2009年の作品で、その時にも見たんですが、実に妙というか、訳のわからない作品です。一言で言えば、古民家の中に、その歴史や文脈を読み解くことなく、異質なカオスを持ち込んだような作品で、写真のような赤く発行する金属物体が吊され、体育館でバスケットボールをバウンドさせるようなノイズが延々と鳴り響き、青く照らされた物体が回転し、ドライアイスの煙が漏れ出るプールが鎮座しているという作品なのです。初めて観たときは、なんじゃこれはと思いました。


 このレヴェックさんの作品が今回、リニューアルされたと聞いたので、観に行ったところ、建物の外部にミラーを吊したポールが何本か建てられていました。ミラーは風でくるくると回転し、反射した光があちらこちらに散乱します。その光が窓を超えて上記の作品を展示している空間に飛び込むように計算されていて、中の摩訶不思議なノイズ空間の喧噪がさらにパワーアップしたように感じ、とても気に入りました。晴れた日にお薦めの作品です。


 これはT250「妻有間曳」(水内貴英)。地域の方との共作による山車が名ケ山、中手、中平、鉢の4集落の間を行き来します。動力は、なんと蒸気で、この暑い中、作者自身が集落の人と一緒に汗だくになって、薪をくべていました。もとこへび隊だった水内さんは、2003年以来、ずっとこのエリアで作品を発表し続けています。なお、私が観たのは中手集落だったと思いますが、細い道が続く斜面沿いのとても美しい集落でした。


 最後は津南の作品を。
 これは、今回、おそらく話題作のひとつになるだろうM037「金属職人の家」(アン・ハミルトン/アメリカ)。
かつて金属職人の住んでいたという空き屋を「ベルを空に飛ばす不思議な道具を作っている職人の家」というふうに想定し直し、数々の不思議な製品や工具のあるスタジオをつくりあげています。
 ここの目玉はなんと言っても、ずらっと壁に並んだアコーディオンです。観客が天井から吊された紐を引っ張ると、アコーディオンが鳴り響くという仕掛けです。様々な音階があるので、同時に引くと、面白い和音になります。このほか、2階では、プロペラ敷きの鳥のような飛行機も自由に扱えるようになっていて、一風変わった工房の趣でした。

 この人の作品を見て感じたのが、乱暴な言い方ですが、外人の感覚だなあと言うこと。我々日本人の感性とは全然異なるものを感じました。でも、そのセンスの違いが、うまくこの古民家にフィットしていると思いました。アコーディオンの配色や壁に新たに塗った色のセンスが特に良く、とても美しい空間に仕上がっているとも思いました。