文芸部
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文芸部
・キモダマの夫。話し言葉も五七五にする変わり者。
・「鳴かぬなら それはメスだよ キリギリス」と豆知識を五七五にする。
・「鳴かぬなら なかないでください 墓の前」と流行りの歌詞まで、勝手に五七五にする。
・細い道を散歩するのが好き。細い道を歩きながら、「おおやけと 私有の境 薄れゆく」とか、「花ざかり 行く手と心を 通せんぼ」とか、「洋館と 日本家屋が 競い建つ」とか考えている。
・一見近所をぶらぶらしているだけなので、周囲からものぐさと思われている。自分でも「ものぐさと 言われてみれば そうかもな」と思っている。しかし、ぶらぶらすること自体が小さな自己目的的行為であり、既に生きる楽しみになっている。
・「ボクの細道」という和歌集を作っている。家々から漏れ出す団欒の声やTVの音を、辻占のように拾い集めて句を詠む作風。
・「蓬平」が新しい歌枕になればいいと思っている。
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・言葉の力を知っているだけに、日本語のルーツにも興味を持っている。「湖の ルーツは太い 源流か」とか、「湖の ルーツは長い 源流か」とか、「湖の ルーツは湖底の 源泉か」とか、あえて同じような句をよむことで、『ルーツ』というコトバの定義の曖昧さを訴えている。つまり、日本語のような混合語(クレオール)の場合、最も古い外来語や、最も多い外来語をもって『日本語のルーツ』とは単純には言えない。系統樹思考や、仮説・証明といったリニアな論証をする者には、その間違いにすら気付くことができないと考えている。
・ルーツの定義なしに「日本語のルーツ」を語ることは、存在するかどうかわからない宇宙人の右利きが多いか左利きが多いかを論じるのと同じであると考えている。
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・マユビト一の肝っ玉母さん。頼まれると嫌とは言わない。
・コトダマの妻。
・まわりから「キモダマさんに任せておけば大丈夫」とか、「キモダマさんはしっかりしてて当たり前」とか思われているので、少し損をしている。
・他人からは豪快さを求められるためか、繊細な趣味で自分をなぐさめている。それは「普段は通らないような細い路地の散策」である。「路地は1つ先の角の向こうさえ見えないでしょ。見えない向こうを見たいっていう願望と、でも何か得体のしれないものが曲ってくるのではないかという畏怖が、交じり合うのが魅力」と考えている。
・猫に導かれて、路地の奥へ奥へと入り込んでしまうこともしばしば。たとえ猫に転がされて「アウッ!アウッ!」となっても気にしない。
・毎日、猫と路地の観察日記「ネコロジーライフ」をつけている。猫は模様も尻尾も様々なので、見た目だけで容易に個体識別ができる数少ない動物である。
・一度会った猫には「残雪」、「来夏世(クナツユ)」、「赤富士」、「群星(ムルブシ)」、「因果」、「東大寺」など、凝った名前をつけている。
・仔猫が一度にたくさん生まれると面倒くさくなって「うすあげ」、「しらたき」、「こいくち」、「あかみそ」、「みつまめ」など、その日の買い物のような名前をつける。
・猫と少し話せるのだが、猫はほとんど何も考えずに日々を過ごしているので、あまり役に立たない。
・養蚕がさかんなころ、猫は鼠から蚕を守ってくれていた。その恩義もあり、地域猫の活動を支持している。
・猫が近くにいると、何にでも猫の毛がついていることから、「世界は、木、火、土、金、水と猫の毛で出来ている(陰陽六行説)」と考えている。
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・「子育ては 優しさこそが 大事なれ」「いいえ、厳しさこそが大事よ!」と言い争っている。
・いつもトリモチから仲直りのあんぼをもらっている。しかし「満腹を超えて食べても食傷するだけ。食べるよろこびは1個めより2個め、2個めより3個めのほうが逓減するでしょ。腹八分目くらいがいいに決まってるじゃない。なぜそんなにいっぱい食べるのよ!」「限界を 超えて得られる 達成感」「あなたのくだらない達成感に、全く興味ないわ!『バカびっくり新記録』は1人の時に挑戦なさい!一緒につきあわされている私は、たまったものじゃないわ!」とあんぼの食べ方ひとつとっても言い争っている。
・十字路に立っており、夫婦漫才のパフォーマンスだと思われている。しかし実際は、掛け合いで人目をひくことで、不審者の侵入を防いでいる。
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・ウラハラの玉繭合体が進んでヨリミチになる。
・「オレたちの育児 優しさも大事 厳しさも大事」とか、「人生寄り道 回り道 どっちみち 冥き道」とか悟ったような歌詞の歌を歌う。
・「育児には3つのアイが重要」とか、「結婚は3つの袋が重要」とか、「エコには3つのRが重要」とか、とにかく3つそろえるのが好き。3つでないといけない論理的根拠は特にない。
・寄り道している人に、進むべき道を照らす能力を持っている。代償はヨリミチが代わりに1日道に迷うこと。「迷うことで、探していたものと全く別の答えを見つけることもある(シーク&ファインド)。しかし迷い続けるのはよくない」と話している。
・散策路の入り口に立っており、一種の路上パフォーマンスだと思われているが、実際は疫病の侵入を見張っているつもり。
・「校舎の屋上」、「隠れ家的なBAR」、「空がよく見える非常階段」など、誰しも「日常から切り離されたお気に入りのアナザーワールド」が必要である。「蓬平が1度きりの旅行先ではなく、都会の人にとってのお気に入りの場所になってほしい」と願っている。
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