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2012年01月01日

巣立ちの部屋-Singing Birds Project

「巣立ちの部屋-Singing Birds Project」 (古巻和芳+TeN+井上真喜+夜間工房)

「巣立ちの部屋」の画像については、すでに公開しているところですが、あれはとりあえずの「暫定版」でした。

遅くなりましたが、このほどようやく「公式版」が完成しましたので、ご紹介します。

「暫定版」とは別に全く作り直していますが、一番の違いは音源を直接用いているので、音質がよいことです。(ただ、画質はSDのままです。)

できるだけ多くの方に見ていただければ幸いです

2011年01月02日

神戸ビエンナーレ2007 掃き清められた余白から

・神戸ビエンナーレ2007に出品した作品の動画です。

2010年01月31日

巣立ちの部屋-Singing Birds Project

(2010 「巣立ちの部屋-Singing Birds Project」 古巻和芳 TeN 井上真喜 夜間工房)

「西宮船坂ビエンナーレ2010」に出品した作品です。

巣立ちの部屋-Singing Birds Project

(2010 「巣立ちの部屋-Singing Birds Project」 古巻和芳 TeN 井上真喜 夜間工房)

「西宮船坂ビエンナーレ2010」に出品している作品です。
今回の作品は、旧船坂小学校2階の教室を用いた映像インスタレーションです。
音楽の先生に歌手のTeNさんを起用し、そのワークショップの歌声を映像化し、教室の引き戸の窓に投影しています。奥の廊下の突き当たりには、窓枠に舞い落ちる羽毛の影が映っています。

こどもたちと先生が歌っているのは、翻訳唱歌である「埴生の宿」と「野ばら」。
とても元気でこどもらしい歌声です。
引き戸のガラスは曇ガラスで、中の人の動きが映ります。
その背景には、ゆっくりと羽毛が舞っています。

引き戸は開けることができます。
開けると、音楽と映像はぴたりと止んでしまいます。
教室は巣立った後の巣のようになっています。
無音の中で、カーテンのゆらめき、差し込む日差しが、不在を強調します。
よく耳を澄ますと、チチチ・・・と鳥が遠くでさえずる声が聞こえます。
窓の向こうには、いつまでも変わらない船坂の美しい棚田風景が広がっています。
(上記写真のみ 撮影akiさん)

船坂の子供たちが作ってくれた紋切りの白い花、武庫川女子のボランティアの方に手伝ってもらった藁状の紙、羽毛などが敷き詰められています。いずれも学校に残された再生紙を利用して制作しました。

時間とともに、映像の見え方も変化します。

廊下の突き当たりの壁の映像のアップです。
羽根の影が舞い落ちています。

ちなみにパンフレットでは「夜閒工房」ではなく「夜聞工房」と誤植してます。これは、「夜閒」の「閒(間)」を「聞」と間違われたのだと思います。変な字を使っている我々のミスです。誤植が多いのと、読めないという苦情から、最近は「夜間工房」と表記するようにしています。

音楽の時間

「音楽の時間」
西宮船坂ビエンナーレ2010
TeN音楽ワークショップより

ボーカル・歌唱指導・カリンバ/TeN
うた/船坂のこどもたち
ピアノ/大前チズル
レコーディング/TeN,古巻和芳
ミキシング&マスタリング/湯原大地
ミキシング&マスタリングスタジオ/studio YOU
イラストレーション/加古雅彦(夜閒工房)
写真/竹内拓也,古巻和芳
ワークショップ運営協力/船坂子供会,善照学園,西宮船坂ビエンナーレ実行委員会
企画/TeN,古巻和芳

このCDは、西宮船坂ビエンナーレ2010参加作品「巣立ちの部屋-Singing Birds Project」(古巻和芳+TeN+井上真喜+夜閒工房)において、7月18・19日に旧船坂小学校音楽室で船坂小学校のこどもたちを対象に行われた音楽ワークショップの様子を録音したものです。

1 埴生の宿~鳥のうた
2 埴生の宿・・・・・・・・・・H.R.ビショップ作曲 里美義訳詩
3 野ばら・・・・・・・・・・ウェルナー作曲 近藤朔風訳詩
4 ゴリウォーグのケークウォーク(組曲「子供の領分」より)・・・・・・・・・・ドビュッシー作曲
5 鳥のうたⅡ
6 故郷(ふるさと)(ボーナストラック)・・・・・・・・・・岡野貞一作曲 高野辰之作詞

1:事前配布用デモ音源として2010年6月大前自宅スタジオにて収録
2~4:2010年7月旧船坂小学校音楽室にて収録
6:2010年10月 TeN自宅スタジオにて収録

・旭化成CM曲「さよならの向う側」を歌っているTeNさんの、すばらしい、すばらしい歌声が録音されています。
・大人にも子供たちにも、聴いて欲しい1枚です。
・CDジャケットのレイアウトはBONさんが手がけました。「音楽の時間」の「楽」の「>」「<」が鳥のクチバシのようになっています。さりげないワザが、なんともにくいですね。

・映像の撮影の時に、ボランティアの方に手伝ってもらいました。ありがとうございます。

・船坂小学校ランチルームと、2Fレトロカフェにて販売しています。1枚1000円です。とても安いと思います。なんでこんなに安いのだろ?ちなみに、利益は、船坂のこども会に還元されます。

西宮船坂ビエンナーレ活動記録13

8月20日は、翌日の撮影に備えて、船坂小学校ランチルームで、スクリーンを組み立てました。
スクリーンは、幅5m必要だったのですが、弛まないように白布を張る必要があります。
たわむと影絵が歪んでしまうからですが、これが結構難しい。
結局、7月25日のBBQの時に会場脇で発見したビニールハウス用の長~い鉄の棒を背骨にして、
集落の坂口さんからお借りした植木用の脚立を支柱にして、なんとかスクリーンを準備しました。

ちなみに机やペン立ての影のようなものは、段ボール紙の切り抜きです。

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西宮船坂ビエンナーレ活動記録12

猛暑だった2010年の夏でしたが、ちょうどお盆の頃、クーラーのない船坂小5年生教室で引き戸づくりに着手しました。
なぜ引き戸を制作するのかというと、もともとあった引き戸は窓が小さいので、映像を投影するには不向きだからです。
合計4枚の木製の引き戸を制作しないといけません。
しかも、引き戸の動きによって、プロジェクターの映像のON/OFFを制御する予定なので、
スムースに動くと同時に、強度と軽量化の両立を図らなければなりません。
引き戸の図面を引いてくれたは、神戸ビエンナーレ2007「掃き清められた余白から」でも和室を設計してくれたたけちゃん。
今回も、下見の際に寸法をとって、完璧な図面を作ってくれました。

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西宮船坂ビエンナーレ活動記録10

音楽の録音、そして映像の撮影準備、ともに順調に進んだ7月でしたが、室内の仕上げをどうするか、実は走りながら考えていました。
まずカーテンですが、ふわりと風に揺れてなおかつ薄く透けるものが必要でした。
最初は、ポリエステルのオーガンジーを試しましたが、固くて全然駄目。
結局、船場の問屋街でいいものを見つけました。
これなら、ほぼイメージどおりです。

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西宮船坂ビエンナーレ活動記録8

7月18日、19日の両日、旧船坂小学校の音楽室にて、船坂在住の小学生13人を対象にTeNさんによる音楽ワークショップを開催しました。

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西宮船坂ビエンナーレ活動記録3

5月8日、正式な現地見学会に参加しました。
夜間工房とTeNさんもここで初めてのご対面です。
この日集まったのは、私〔古巻〕のほか、TeNさん、コカさん、たけちゃん、井上真喜さん、GUNちゃん。
また、他の作家さん、藤井ディレクター、実行委員会の方も見えていて、お互い自己紹介などしました。

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2008年01月28日

過去の写真

(2008 たけちゃん 「過去の写真」 A4)

・「turnstyle」に載っています。

(本文)

先輩のSさんが結婚するというのでSさんと僕との交流について思い起こしてみたのだが、どうしても過去のウエイトが大きい。彼が十数年来海外に行っていてほとんど会っていないからだ。
結婚式の2次会の幹事からスライドに使うから彼の昔の写真を探してほしいと頼まれたが、彼が写っている写真はほとんど出てこなかった。当時は何枚か撮ったのだがナルシストの彼は自分の写真を見るとすばやくアルバムから抜いて持っていってしまうのだった。だから僕の手元にはほとんど残っていない。
代わりにその頃に撮った他の人たちの写真がでてきた。せっかくなのでここに挙げることにする。

彼女は六甲にあった喫茶店「エクラン」のママだ。
彼女には3回だけ会った。
1回目はこの営業しているのかしていないのかわからない古い喫茶店の写真を撮ろうと思って初めて店に入った時。初めて会うのにいきなり「あなた、この間も来た人やね」と言われた。誰か他の人と間違えられたのだろう。店内の写真をひととおり撮ってなんとなく帰らずにいると冷蔵庫からサイダーを出してくれた。年を聞くと89才だった。そのまま、上がり座敷の端に腰掛けて長々と昔の話をしてくれた。
2回目はその店の2階で仲間と忘年会をした時。スキヤキだった。
3回目は阪神大震災の日。傾いた店のドアを開けて入ると、無茶苦茶になった店の中で、彼女は一人で上がり座敷に腰掛けて頭から毛布をかぶって茫然としていた。しかし彼女は普段から茫然としている風だったのでいつもとあまり変わらないようにも見えた。
2、3日後もう一度様子を見に行くと、彼女はいず、テーブルの上に大量のキャットフードが山のように積み上げられていた。
それ以来会っていないが今も生きていれば103才か104才になっているはずだ。

水木通りにあったこの喫茶店「あーすくわれ」は人の家のようだった。
薄暗い店内は実家の暗かった食堂を思い起こさせた。
客にコーヒーを出したあと店主である彼女もその辺の空いたテーブルに座って帳簿か何かつけていた。
無口なおじさんもいて、離れみたいな部屋に座って絵葉書とか売っていた。
写真を撮らしてください、というと
「じゃあ、口紅塗るわね」
といって口紅を塗ってきてくれた。おかげでいい写真が撮れた。

これも14年前の写真だ。
大学生の時、とある小劇団の写真係をしていた。団長も団員もほとんど大学生。当時はそんな小さい劇団が星の数ほどあった。
彼女はその団員の一人で、バイトをしながら夜間大学に通い、芸能プロダクションにも所属していた。僕と同じ年の彼女のそのバイタリティには圧倒された。
彼女は美人だったがとても小柄で、女優になるには小さすぎるような気がした。そのせいか、とてもよく食う人だった。公演の打ち上げの席などでひたすら食べているのをよく目にし、その旺盛な食欲にもまた圧倒された。沢山食べて大きくなろうとしていたのではないか。
劇団の仕事の合間に個人の売り込み用のポートレートを頼まれてよく撮った。いつもカメラを見る目がカメラを通り越してすごく遠くを見ていたのが印象的だった。

2008年01月27日

回転扉(仮題)

(2008 たけちゃん 「回転扉」 A4)

・神戸居留地のEHバンクにある回転扉です。

ノッチの結婚式の2次会の会場です。

2007年01月13日

掃き清められた余白から

(2007/10/06-11/25 古巻和芳 + あさうみまゆみ + 夜間工房 「掃き清められた余白から」)

神戸ビエンナーレ2007 アートインコンテナコンペティション実行委員会特別賞を受賞しました!

・この賞のすごいところは、初めからあった賞ではないことです。会期中、多くの鑑賞者に感銘を与えた作品ということで特別に賞がもうけられ贈られることが決まりました。

・夜間工房のスタッフは、らぶさん、シバさん、Lee氏、o-noli氏、コカ、メンソール教授、たけちゃん、Gunちゃん、アズキさん、ヒゲ君です。

・四畳半空間の設計施工はたけちゃんがしました。

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2006年01月04日

ジオラマ成形作業

コカ コカ妻 ヒゲ君 キリエちゃん 2006 「繭の家」ジオラマ用の「杉の木」 爪楊枝 スポンジ 木工用ボンド)

らぶさん、アズキさん、ウーちゃんをはじめとして、多くの人に「繭の家」ジオラマ用杉の木を作ってもらいました。

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2005年01月31日

似顔家(仮題)

たけちゃん 2005 「似顔家(仮題)」)

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2003年01月30日

ターンスタイル特別号

アマルナケンちゃん 2003 「ターンスタイル特別号」 布 スパンコール他)

・2003年6月、ニューヨークのスタテン島9.11メモリアルのコンペで、SONO氏提案の「POSTCARDS」 が選ばれました。この素晴らしいニュースを送ってくれたSONO氏へ、感謝と激励の気持ちを伝えるために、夜閒工房の残りのメンバーはSONO氏の友人達からメッセージ・ハガキを集めて贈ることにしました。

・集められた80枚を超えるハガキは、箱型の 「ターンスタイル特別号」(通称ハコスタ)に入れられ、2003年9月にSONO氏のもとへ届けられました。「POSTCARDS」 の設計から工事の監理まで、2004年9月11日の完成を目指し、SONO氏にとって妥協できない作品づくりの毎日が続きます。様々なプレッシャーのかかるSONO氏を励まし、初心に戻るきっかけとなることを祈って応援していきたいと思います。

・これまでのturnstyle とは異なり、今回の「ターンスタイル特別号」は1部のみ製作されました。

・ハコスタは、アマルナケンちゃんが作りました。

・骨組みは木です。ヨーロッパの古布が使われています。

・ボタンにはスパンコールが付いています。

2003年01月10日

高寺めぐみ作品展

タカテラメグミ 2003 「高寺めぐみ作品展」 大阪:GALLERY HAKU

・詳しくはGALLERY HAKUをご覧ください。

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2001年01月19日

砂山ビーチへの道

たけちゃん 2001 沖縄展 「砂山ビーチへの道」 写真)

・「沖縄展」にたけちゃんにも出してもらいました。

・「沖縄展」のハガキには、たけちゃんの個展「沖縄散歩」(2001/06/07-18 CAP HOUSE)のハガキの残りを使わせていただきました。ありがとうございました。

2001年01月17日

ガジュマル

たけちゃん 2001 沖縄展 「ガジュマル」 写真)

・宮古島の公園にあるガジュマルです。

2001年01月10日

高寺めぐみ作品集

タカテラメグミ 2001 作品集「Takatera Megumi」

高寺めぐみさんは1971年、兵庫県尼崎市で生まれ、そして1997年、26歳で帰らぬ人となりました。

・この作品集は、彼女が制作した絵画のうち、主に卒業後、個展等で発表された作品を中心に、その代表作を紹介するものです。彼女が26年間の人生の中で、社会に対して唯一明確に表現し得たものが、これらの作品であり、そして今やこれらは彼女が私達に遺した最も大きな足跡となりました。その作風は、みずみずしい感性で高らかに生の喜びを謳ったものから、辛く苦しい心境を吐露するものまで多岐に渡りますが、そうした大きな振幅を含めた全てが、彼女の人生であったのだと言えるのかもしれません。彼女の生の息づかいを作中から感じ取って頂ければ、幸いです。(文:古巻和芳

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1998年01月01日

沖縄部とは

よこちん他 「沖縄部」 1998~)

「沖縄部(おきなわぶ)」は、コカが1998年に美術部室入り口の札を「沖縄部」と書き換えたのがはじまりです。

「沖縄合宿」は、コカが他の部員より年上であることにものいわせて、強引に美術部の合宿をすべて沖縄にしたのがはじまりです。

・その後、凌美OB・OGの「沖縄友の会(仮名)」と合併しました。

・当初、沖縄の離島情報を集めるのは大変でした。そこで、行ったことのある部員が、まだ行っていない部員に情報を与えるのが目的で、画像掲示板に写真や地図を載せるようになりました。

・今は「沖縄全有人島上陸」が目標です。くわしくはこちらをご覧ください。

・部長はよこちんです。

・学院OB・OGの部員はヒゲ君、みやぶ君、キャラバンさん、ちびさん、阿波っ子さん、PINO君、キハラさん、かちゅらん君他です。

・特にPINO君は那覇に移住してしまいました!すばらしい!

・凌美OB・OGの部員は古巻和芳さんBONさんらぶさんユミさんコカたけちゃんLee氏、(みんみんさん)他です。

ぴらおかさんの後輩で沖縄在住のカカオ豆さんから写真や情報をもらったりもします。ありがとうございます。

・本島在住のミポリンさん井上真喜さんから情報をもらったりもします。ありがとうございます。

1994年01月07日

メンソールの誘惑

(文:メンソール教授 + 写真:たけちゃん + レイアウト:アマルナケンちゃん 「メンソールの誘惑」 1994 A4 コピー)

1994年01月02日

NOW DIVE INTO MENTHOL

(1994 「turn style」 企画:コカ 撮影:たけちゃん 制作:アマルナケンちゃん モデル:メンソール教授

・ボツになった「メンソールの誘惑」ラストシーンです。

1993年01月14日

「神戸マニア」とは

コカ他 「神戸マニア」 1993~ )

・もともとweapon氏から「神戸の案内地図のCD-ROMを作りたいんだ。俺はプログラムを組むから、コカはデータを集めてくれ」と依頼されたのが始まりです。

・写真は、たけちゃんに頼みました。喫茶「あーすくゎれ」や、花火の写真を撮ってもらいました。

・細かい情報は、博識のメンソール教授にききました。

・図書カードでの情報管理は、BELさんに頼みました。

・アイコン作りは、タカテラメグミさんに頼みました。コミカルで抽象的な図柄で作ってもらいました。

・よく週末にみんなで情報収集のために、ぶらぶさんらしましたね。

・プログラムも完成し、データ集めもほぼ終わりかけていた時に阪神淡路大震災が起こり、この企画自体が流れてしまいました。

・しかし故タカテラメグミさんが手伝ってくれた企画だったので、なんとか形にしたいと思ってました。

アマルナケンちゃんの協力で「神戸マニア」ができました。詳しくは「神戸マニア」をご覧ください。

1992年01月29日

菩薩喫茶 ニルバーナ

(1992 「菩薩喫茶 ニルバーナ」)

・夜間工房として参加した学祭の模擬店です。

・「ニルバーナ」とは「涅槃」という意味です。

・僕らが入りびたっていた水木通の「菩薩茶屋」(→「ぽから」→「あーすくゎれ」)の影響をモロ受けています。

SONO氏(左)は「似顔絵描き係&ホスト」でした。

・お客さんは、彼が内装に合わせてわざと小汚い格好をしているように思っているでしょうが、普段着です(笑)。

・ブラブラしているモビールは主にコカの部屋にぶら下がっていたものです。当時のコカの部屋はモビールや作品だらけで、ベッドの上以外は普通に座れませんでした。つまり罠です。

アマルナケンちゃんは「ネパールの太鼓演奏係」でした。

・ターバンを巻いたりしてたから、留学生と思われていたでしょうね。

・ステージは教壇を動かして作ってあります。できるかぎりそこにあるものを利用しようとしていました。

・後ろの絵はアマルナケンちゃん作「モンスター」です。すばらしい!

・(たけちゃんはアコーディオンを演奏して客を呼び込んでくれました。

メンソール教授は「厨房係&無愛想なウェイター」でした(笑)。

・無愛想なのにサービス満点なのがポイントです。例えば「アクセサリーパーツを5個買うから500円にまけて」というお客さんに「では、6個で400円でどうだ!」と値切られた額よりも値下げしたりしてました。呆然とするお客さんも多かったですね(笑)。

・時々、窓のワヤンクリットの手を振ってもらって、客の呼び込みをしてもらいました。

・アクセサリー展示用の流木はせつ君の案内で岡山のほうまで拾いに行きました。

・ネパールの他に、コカがバリで購入したグッズも使いました。緑色の面はちょっと珍しいんです。

・ネックレスにみえるのは、ブッダの生誕地ルンビニーで購入した菩提樹の巨大数珠です。

・足元にあるのはネパールのコカ・コーラの瓶と、ニセモノのコーラ(カンパ・コーラ)の瓶です。