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秋の蓬平 2009

2009年09月27日 里山のくらし

作品修復のために訪れた蓬平は、すでに収穫の季節を迎えていました。
ちょうど今は稲刈りの真っ最中でした。
写真は繭の家の裏手から望む田之倉方面の棚田。
もう半分以上の田んぼで稲刈りが終わっています。

蓬平では今が、一年中で一番忙しい時期です。
稲刈りは個人個人がそれぞれ行うのではなく、集落の共同作業で順番に行っているそうです。
雨が降らない限り、毎日休みなく作業は続きます。
そうして収穫された稲は、「はぜ」となって、集落のあちらこちらにそびえ立ちます。

キヨシさんに作柄について聞くと「今年はあまりよくねえな」とのことでしたが、
今年もこうやって、うまい米がつくられたんだなあと思いました。
ちょうど政権が交代して、こんご農政にも変化があるかも知れませんし、
今年は大地の芸術祭があって、いろいろと地元の方のお手を煩わせてしまいましたが、
この地で営々と続く米作りこそが、生活の中心であることには変わりないという当たり前のことを改めて思いました。

なお、今回の蓬平行きでは、こんな忙しい時期にも関わらず、またいつものようにキヨシさん宅で何かとお世話になってしまいました。
またマユビト制作チームの方にもお集まりいただき、今後の制作方針などについて意見交換を行いました。

作品修復

実は、会期終了日かその前日に作品C「空に放つ」が破損していました。

テグスで吊っている繭の2列がちぎれていました。
作品A、作品Bは触ることができるので、この作品もつい触ってしまうのかも知れません。

それでこの週末、「秋版」公開に備えて作品修復をしました。
この通り、きれいに直りました。
来場者のみなさん、この作品だけは触れませんので、よろしくお願いします。

第4回大地の芸術祭 繭の家関係の入場者等

今月会期を終えました第4回大地の芸術祭での繭の家の数値等の集計が出ましたのでお知らせします。

繭の家・入場者数 7,146人 (前回 4,500人)
グッズ販売数
 マユビト 1,466個 (完売)  
      〔台座タイプ当初500個、追加242個  マグネット当初300個、追加424個〕
 CD「桑の葉を揺らす雨」 100枚

たくさんの方に来場いただき、本当に感謝申し上げます。
また、来場者をもてなしていただいた集落の方、こへび隊の皆さん、誠に有り難うございました。
新作ではないのにも関わらず、前回の1.5倍もの来場者があったことに驚いています。
芸術祭全体の入場者もまもなく発表になると思われますが、前回の35万人を大きく上回ることは確実です。

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マユビトをデザインした夜間工房のコカです。
予想をはるかに超える数のマユビトを買っていただいて、ありがとうございました。
また、お盆の忙しい中、追加のマユビトを作っていただき、ありがとうございました。

僕は正直言って、気持ち悪い顔のマユビトが売れるとは思っていませんでした。
「かわいいマユビトの引き立て役になればいいなぁ」くらいに考えていました。
それが芸術祭開催早々に完売し、追加分も完売するとは、うれしい誤算です。

マユビトが売れたことで、復活してもらった養蚕も続けていけます。
“養蚕プロジェクト”としてはとてもいい結果です。

今後もワークショップや蚕観察帳などを通じて、次世代に養蚕の歴史や文化を伝えるお手伝いをしていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

印象に残った作品⑧

2009年09月24日 大地の芸術祭

 本間純の2作品が設置されているのは、芸術祭エリアでも最も奥地の津南町秋山郷の結東集落です。これまでも行きたいと思いつつ、なかなか行けずにおりましたが、今回の夜間工房ツアーで秋山郷の萌木の里に宿泊したので、ようやく拝見できました。

 秋山郷は、長野県境にまたがる12の集落から構成される地域で、平家落人伝説の里として古い生活様式や風俗などが残っていることから、よく秘境として紹介される場所です。2005年の大雪の際には唯一の道である国道405号線が通行止めになり、雪で孤立したことは記憶にも新しいです。
 そんな集落で、本間純は「100年前」という作品を制作しました。
 作品の設置場所は廃校を再生した「かたくりの宿」という施設で、本作は体育館の内外に設置されたサウンドインスタレーションでした。グランドには屋外スピーカーがセットされ、そこから時折オオカミの遠吠えが聞こえます。これは、100年前であればこの地方にもきっとオオカミがいただろうと考えた作者が本物のオオカミの鳴き声を入手したもので、これが鳴り渡ると集落中の犬が反応してワンワン吠えるそうです。体育館の中の作品は、だだっ広い天井の梁の付近に折り紙(?)による家などの造形物がひっそりと配置され、室内の各所から生活の音や歌声などが聞こえてきます。ここで表現されているのは、この土地に潜む何かの気配のようです。
 音声の中で一番印象的だったのは、老人が唄う民謡でした。これは秋山郷に伝わる「ラス踊り」という唄で、作家が実際に集落の古老を訪ねて録音したものだということでした。遠くの山の奥から、あるいは遙かな過去から聞こえてくるようなこの歌声が、しばらく耳にこびりついて離れませんでした。少なくとも旅行者であった私には、目には見えないはずのこの地域の地霊(ゲニウス・ロキ)を垣間見たような気になりました。そういう意味でこの試みは、成功していたのではないでしょうか。

同じ敷地内には、2003年作品「Melting Wall」もあります。これもいい作品でした。3コースしかないこぢんまりとしたプールも可愛かったですが、このプールにまつわる様々な記憶が、水の揺らぎとともにこのテレビ画面のような矩形に映し出されているような印象を持ちました。
 この作品を見に来たグループの多くは、お約束という感じで、水の壁の向こう側にいる仲間の剽軽なポーズを記念撮影します。それはある意味、童心の発露であり、かつてこのプールを歓声で満たしていた子供たちの幻影を映すビジョンなのかも知れません。

以上、2009年に見学した10作品を8回にわたって紹介しましたが、拙いレビューもこれにて終了です。
おつきあい下さいました皆様、どうもありがとうございました。

印象に残った作品⑦

2009年09月23日 大地の芸術祭

 瀧澤潔の「津南のためのインスタレーション-つながり-」も見応えのある力作でした。特に会場2階のテグスの集積による白い空間は迫力がありました。
 会場は津南町中心部のかつての機織り工場跡地です。工場跡地であることは、かつてここにあったひとつの産業が失われたことに他ならないので、空家同様、わびしさや悲しさを醸し出すものですが、作者はこの奥行き40mもの大空間を、雪解けの歓びを表現するという「明」と「暗」をテーマにしたインスタレーション空間に変容させました。

 まず1階ですが、ここは「暗」の部です。暗闇の中の長細い空間に古着のTシャツが照らし出され浮かんでいます。闇に閉ざされた空間にうごめく人の幻影のようにも見えます。一番奥のつきあたりには無数のワイヤーハンガーがつるされており、吹き抜け空間を経て上の階へとハンガーの連なりが続いていました。

 2階はコンセプトのとおり、光に満ちた「明」の空間でした。天井は、真っ白なふさふさした毛のようなものに覆われ、窓の自然を受けて光り輝いています。これはナイロン製のテグスの集積です。これほどの面積の天井を埋め尽くすには、一体何kmものテグスが使用されているのか見当もつきませんが、本来、1本の線であるテグスの集積が広大な面となっていることが爽快でした。越後妻有のトリエンナーレらしい、スケールの大きなインスタレーションです。1階からの吹き抜けからは例のハンガーが進出しており(写真奥の緑の壁)、2つの空間のつながりが表現されているようでした。

 かつて機織り工場だった場所との関連性については、殊更には言及されていないようでしたが、「場の記憶」をテーマにした空家作品が多々ある中では、あえて記憶よりも、空間のスケールを生かし切る方法論をとられたのではないかと思いました。かねてから指摘されているように、大地の芸術祭のマンネリ化を防ぐためには、このようなスタンスも大いにあり、でしょう。
 この瀧澤さんという作家さんとは残念ながらお会いしたことはありませんが、結構早い時期からこの作品の専用チラシが各所に配置されているのを見かけており、また会場には過去作品資料、評論家の寄稿入りの資料が配置されるなど、「個展」としてのプレゼンも準備万端整っていました。そして、このおびただしい作業量。若い作家さんがこの作品にかける情熱と気合いをひしひしと感じ、これまた爽快でした。これからの活躍を期待しています。

印象に残った作品⑥

2009年09月21日 大地の芸術祭

Earthscapeのメディカル・ハーブマン・カフェ・プロジェクトも印象に残った作品でした。これはボルタンスキーの廃校のグランドで展開している作品で、写真のように人の形をした花壇「メディカル・ハーブマン」に様々な薬草が植えられています。

 薬草は、ただ適当に植えられているのではなく、その薬草が効く「体の部位」に植えられています。(例えば、喉に効くオオバコは、メディカル・ハーブマンの喉に植えられているといった具合。)また実際に薬草のいくつかは併設されたカフェで飲むことができるようになっています。特にハーブティーがおいしかったという訳でもありませんが、このような趣向で一服できたことは、作品巡りで疲れた身にとって、何とも言えない楽しいリラックスタイムでした。

 実は、このプロジェクトは越後妻有だけでなく、各地で展開されているそうです。このプロジェクトのHPの文章をそのまま転記します。
「Medical Herbman Cafe Project(メディカル ハーブマン カフェ プロジェクト)=MHCPは、メディカルハーブマンと名付けられた人型のハーブガーデンを制作し、そこで採れたハーブを使ったお茶や食事を販売するカフェを運営することにより得た収益を、ハーブマン基金を通じ、途上国の小学校の校庭にプレイグラウンドを制作する活動に使用する、円環型のサスティナブルプログラムです。海を越え、広く沢山の人々に伝播する目的も持ち、そのためMHCPは必要な全てのキットを、航海も可能なコンテナに積み、世界各地を移動しながらプロジェクトを展開していきます。コンテナには、ハーブマン制作キット、簡易キッチン、カフェユニットなどが詰まっており、イベント時にはそれらを出して組み立て、ハーブマンやカフェをつくります。コンテナそのものはカフェの空間に。一定期間の運営を終えたそれぞれのユニットは、再びコンテナに収納され、次なる場所へ運ばれていきます。」
 志もさることながら、ロゴやインテリアなど、プロジェクト全体のデザインもよく練られており、そこがまた人を惹きつけるんでしょうね。我々も見習わなければならないと思いました。

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夜間工房のコカです。
中国では、肝臓の具合が悪ければ肝臓を食べればいいという考えかたがあるそうです。科学的ではないにせよ、とってもわかりやすいです。ハーブマンはそのいいところだけを活かしていますね。

「掃き清められた余白から」は同じくコンテナだったので、移動できたのに、解体されて残念です。

印象に残った作品⑤

2009年09月19日 大地の芸術祭

 今更ながらですが、2006年制作の人気作品、行武治美の「再構築」も今回、遅まきながら見に行きました。「こころの花」などもそうですが、一目で鑑賞者の心をパっとつかむことができる視覚的インパクトに優れた作品、というのが第一印象でした。

 建物の規模は、小さな納屋程度で空家作品という感じではありませんが、中には入ると写真のように正面の景色を囲むように無数の丸い鏡が配置されています。鏡の一つ一つは手で切り出されたフリーハンドの円形で、工芸的な丁寧な仕事です。その鏡は壁面に緩やかに固定されているので、風が吹くと、映し出されている風景と一緒に揺れます。美しい高原リゾート地域に設置するのにふさわしい作品と言えるでしょう。

この作品のタイトルが単純に見たまんまの「鏡の家」ではなく、「再構築」となっている点も興味深いです。作者にお聞きしたわけではないので勝手に推測すると、一旦、鏡という細かいパーツに分解された風景は、パーツの集積として見ればそこに映る風景全体を再現しているかに思えますが、そこには1点1点の微妙な角度のズレ、揺らぎ、隙間、さらには鏡に映された鏡などがあり、元とは異なった複雑な風景が生まれています。風景をある種のフィルターにより異化させて見せるという意味では、本間純の「Melting Wall」にも通じる方法論かも知れません。 いずれにせよ、子供でも分かる明快さと、視覚における虚実などについての問いかけも兼ね備えた、懐の深い作品です。あと、ふと思ったのですが、大きさがちょうど茶室の大きさなので、ここで茶会を催しても面白いのではないでしょうか。(その際は床の設えに工夫が必要ですが)

印象に残った作品④

2009年09月18日 大地の芸術祭

 同じ空き家作品でも、我々の繭の家とは大違いと思ったのは、みかんぐみ+BankART1929他の「BankART妻有・桐山の家」です。これは横浜で活躍しているBankART1929が建築家ユニット・みかんぐみと協力して、桐山集落の古民家を改築し、関係者のセミナーハウスとして利活用しているスペースです。2006年に開館し、今回の芸術祭では、交流のある50人のアーティストの作品等も室内に展示され、一般公開されていました。

 改修のコンセプトは「普通の家を普通の家のように改修したい」ということらしいのですが、彼らの言う「普通」とは、世間一般の普通ではなく、とても「かっこいい」もので、当たり前のようにスタイリッシュでした。それをさらりと「普通」と言い切るところが彼らの美学なのでしょう。煤けた、真っ黒な、何十年もの記憶がこびりついた「古民家作品」を見続けた者にとっては、この桐山の家の(特に内装の)明るさ、快適さ、ポップさは、新鮮に目に映りました。しかも、これ見よがしではなく、ゆるいカフェのような何気ない空気が心地よかったです。正直言って、ここなら普通に住めるし、友だちを呼んでパーティーするのにうってつけだと思いました。
 同じ空家作品でも、これは家の改築そのものがテーマであって他の古民家を利用したアート作品とは方法論は異なるけれども、都市の消費文化の最先端の感覚を農村に接合できたのは、やはり都市を拠点とする建築家やアーティスト達がこの地にやってきたからこそ。そういう意味では、これも大地の芸術祭の本旨に沿った作品だと言えると思います。

 物件の維持管理や運営はおそらく簡単ではないでしょうが、プールを囲んで仲間達と記念撮影をした写真(芸術祭公式写真)を見ると、多くの他者は、「羨ましい、仲間に入れて欲しい!」と思うのではないでしょうか。まさに彼らの「基地」という言葉がぴったりです。この場所を拠点に地域との交流も大きく広がっていくことを期待します。
(建物内部の写真を紹介できず、すみません。)

印象に残った作品③

2009年09月17日 大地の芸術祭

 内海昭子の「たくさんの失われた窓のために」(2006)と「遠くと出会う場所」(2009)も今回、同時に見ることができました。二つセットで鑑賞することで、作者の思いや指向性がよりクリアに伝わってきたような気がしました。

「たくさんの失われた窓のために」は、写真のとおり、清津川流域のなだらかな台地風景を金属製の「窓」のフレームで切り取って見せる作品です。美術における窓というのは重要なアイテムで、そもそも絵画というのは、「切り取られた窓」です。具象画とは、あたかも窓の向こうに世界があるように見せるイリュージョン術のことですが、ふだん鑑賞者は窓自体の存在に気づいていません。しかし、絵画の表層を境に「こちら側」と「向こう側」は厳然と隔てられ、鑑賞者は「心の眼」で向こう側へと彷徨うこととなります。これが絵画の鑑賞行為です。
 フレームだけが屹立しているこの作品は、私たちが住んでいる世界を改めてフレームを通して見つめ直す作品です。地元の人にとってはふだん見慣れた風景、あるいは旅行者であれば眼前に広がる雄大な自然風景が、ここで対象化されます。この作品には鑑賞用のお立ち台があって、そこからフレームの中の風景を望むことができますが、作家はこのアングルでの風景だけを特に見せたかったわけではないと思います。我々は屋外でスケッチをする時に両手(それぞれの親指と人差し指)で四角いフレームを作って構図を決めますが、それと同じようにして、それぞれみんなで風景を見つめ直してごらん、と問いかけているように思います。
 また、この作品で重要なのはカーテンです。薄い半透明のカーテンは、わずかな風をはらんでふわりとなびきます。無論、カーテンは風を目に見える形とするために設置されているものです。「こちら側」と「向こう側」をやすやすと行き来できるのは、風です。この風のように我々も心を解放して自由に行き来してみては、というメッセージを私は感じました。
 しかし、さらに踏み込んで考えてみると、「向こう側」とは、単なる風景のことなのでしょうか。この作品は純粋な風景批評の作品なのでしょうか。無論、それでもいいのですが、それ以上の何かもここに見出す余地もあるかも知れません。それはもう一つの作品との関連で考察してみたいと思います。


もう一方の作品「遠くへ出会う場所」は、打って変わって「梯子」の作品です。一面のソバ畑の中に一本道があり、道の両側は色とりどりの花で彩られています。その道の突き当たりに、天へと伸びる「梯子」が架けられています。梯子は結構高くて10mほどで、野外彫刻であり、またモニュメントのように見えます。私が訪問した時期はまだソバの花が咲いていませんでしたが、白いソバの花が一面に咲き渡るとさぞ美しかろうと思うと同時に、一瞬、それは死後の世界のイメージにも重なるのではないかと思いました。夕暮れ時に見たからそのように思ったのかも知れませんが、美しい花畑と、天へと伸びる梯子と言えば、存外遠くないかも知れません。
 作品を実見する以前、作家さんにお話しを伺う機会があり、その時は「いろいろな植物を植えて、将来的にはこの梯子に絡ませていきたい」とお聞きしていたので、全体としては植物の伸張する力、生命感をこの作品に宿していきたいという意図をそこに感じました。なので、「死」とは正反対の「生」のイメージなのですが、植物が光を求めて上へ上へと伸びていくように、我々も手には届かない何かを常に求めており、その手に届かない何かとは、人によって違うと思いますが、誤解を恐れずに言えば、「失ってしまった大切なもの」もその一つではないかと思います。もちろん、見る人それぞれが「遠く」に何があるのかを想像するのが、この作品の正しい見方なのでしょうが、私がこんな風に思いこんでしまうのは、作者が我々夜間工房と同じく神戸出身だからです。作者は高校生の時に阪神・淡路大震災を体験しています。前作の「たくさんの失われた窓のために」というタイトルについても、どうしても震災との関連を思い浮かべてしまいます。
 真偽のほどは分かりませんが、少なくとも両作品は、いずれも「向こう側」への憧れや思いを、身近であるが象徴的な構造物(窓、梯子)をメタファーとして用いて、水平・垂直という形において、それぞれ見事に造形化したものであると私は考えています。また鑑賞者は、これらの作品と向き合うことで、鏡を見るように自己の内面と出会えるのではないかと思います。
 いつか内海さんの作品を地元神戸でも見てみたいものです。

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夜間工房のコカです。
古道具屋さんで窓、額、梯子、扉はマストアイテムです。若い頃は「こんな古いもの使えるのか?」と疑問に思っていたのですが、今はそれらが持っている物語性を感じることができます。それは「こちら」と「あちら」の境の装置であるということです。古さは失われた時間を、外国製なら異世界への憧れも加味されるでしょう。

昔は村の境は別世界であり、異世界であったと思います。やすやすと越境する「鳥」や「風」に特別のものを感じたでしょうね。カーテンは「訪れ」の気配をあらわす、現代のとてもいい装置だと思います。

梯子の向こうの植物が繁っていて、梯子の上からでないと向こう側が見えないというのもいいですね。

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古巻です。
作家さんご本人からソバの花が咲いている写真を送って頂きました。やはり、がらっと雰囲気が変わりますね。美しいです。

作家さんによると、「死や死者、また失われたものを想うことは決して悲しいことではなく、生きるために大事なことと思っています」とのことです。

印象に残った作品②

実は今回の新作の中で、私が個人的に一番好きだった作品が、 意外や意外(?)、この「上鰕池名画館」(大成哲雄+竹内美紀子)でした。当初、夜間工房のツアーでは、近くまでは行ったのですが、これは「どうかな・・・?」と思って素通りしてしまいました。しかし、後日寄ってみたら、とても良かったのです。(ツアー参加の方、すみません)

はじめは、よくある名画のパロディー写真の里山版かと勝手に想像していたのですが、実際に見てみると、それだけではありませんでした。作家達は、実に丹念に上鰕池の集落に入り込み、暮らしの機微や風景の美しさを読み取り、その結果、集落全員の協力を得て完成させることができた、まさに地元に寄り添うことで出来上がった作品だったのです。
 上の写真はチラシにも使われていた「フェルメール」ですが、これには文章が添えられていて、このお母さんは集落みんなが楽しみにしている年に一度の祭りの準備をしているところであるということが分かります。決して、形だけ名画を真似たわけではないのです。

 もう一点の写真は「ミレー」ですが、これは落穂拾いではなく、よくみるとワラビ取りで、本当にワラビが生えている時期を選んで撮影されたものです。無論、春のワラビ取りが、深い雪に閉ざされるこの地方の人たちの大きな楽しみであることも、文章で説明されています。このほか、セザンヌの「ゲーム遊びをする男たち」は、この地方で盛んな大相撲の予想する男たちに代わり、マネの笛を吹く少年は集落の吹奏楽部の女の子にとって代わられ、といった具合で、この地方の暮らしについて少しでも知っている者が見れば、ニヤリとさせられる作品ばかりです。(ムンクの「叫び」もありました)
 このほか、シャルダン(又はモランディだったか)の瓶の静物画のパロディとして、一升瓶に入ったマムシ酒とお猪口のある作品もありました。私も蓬平でまむし酒をいただいたことがあったので、「そうそう、この地方のお父さんはこれが好きなんだよな」と思って、文章を読み進めると、このお猪口の持ち主だったマムシ取りの名人は、ある日山に入ったきり、そのまま帰らぬ人となってしまったことが書き添えられてあり、しんみりしてしまいました。
 全体的にはユーモアのある作品群ですが、それだけではない山深い村の生活感情も織り込まれており、作家の暖かい目線を感じます。また作品のどれもが高い撮影技術にも支えられ、あのミレーがバルビゾン村で感じたような、農村生活の崇高さが表現できているようにも感じられました。
 実は私も何度も蓬平に通っている間、似たようなことを考えていました。下の写真は、早春の繭の家の裏を撮影したもの(撮影:古巻)で、畑の上に積もった3mの雪の上にお隣さんが炭を撒いているところです。こうすると雪が早く解け、肥料にもなるとのことですが、この光景などもミレーの「種まく人」のような崇高さを感じませんか。

 話は少し脱線しましたが、大成さん・竹内さんには次回もこのテーマで展開していただき、ぜひとも写真集の出版まで頑張ってもらいたいものです。

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夜間工房のコカです。
僕もてっきりパロディかと思っていたのですが、全然違うようですね。
名画の構図は出口ではなく、入り口にすぎないということですか。
またバビルゾン派の時代のことは想像するしかありませんが、こちらは現在なので、より現実的に農村生活の崇高さが肌で感じられ、いいと思います。
名画と呼ばれるものを、名画と呼ばれているだけにあまりよく思っていない人が見ても、その構図の素晴らしさを再認識するのではないかとさえ思います。

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古巻です。
まさに「入口」という言葉がぴったりですね。
そこから新たな物語が紡ぎ出されています。

印象に残った作品①

2009年09月16日 大地の芸術祭

今年も様々な新作が話題となった大地の芸術祭。出品者である私自身も、会期中は観客の一人となって、作品巡りをすることが、大きな楽しみでした。(と言っても、あまり多くは見て回っていませんが。)これから何回かに渡って、その中でも印象的だった作品を紹介してみたいと思います。


まずは、今年の話題作の一つだった、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーのストームルーム。

これは日曜美術館でも映像が流れていたので、ご存知の方も多いでしょうが、空き家の2階の1室で、人工の「嵐」を体感する作品です。その部屋にはいると、外は晴れていたはずなのに、室内はうす暗く、窓ガラスには水滴と雨だれが。外からはゴロゴロと雷の音も聞こえます。軒を打つ雨音と、雷の轟きが心地よくリズムを刻み、嵐の強弱もきちんとクライマックスが用意されています。最後は、期待通りのガラガラビッシャーン!ガラスがビリビリビリ・・・。サービス満点で、思わず一人でにやついてしまいました。まるでオーケストラの演奏会のようでもありました。
 ある夏の日の夕立-たとえば、私は少年だった頃から、授業中に窓から見える激しい雨の様子をぼんやり眺めるのが好きだったのですが、そういう一瞬-をまざまざと想起しました。狭い部屋に仕掛けられた人工的な装置と分かっていながら、大きな自然や、自分の過去のある瞬間の感慨を強く感じることができる優れた作品でした。

繭の家-養蚕プロジェクト (2009年度版チラシ)

2009年09月13日




大地の芸術祭 最終日

大地の芸術祭も最終日を迎えました。
午前中は良い天気でしたが、午後は生憎の雨となってしまいました。

しかし、最終日も約260名の多くの皆さんからお越し頂きました。

閉館時間の近くになっても見に来られる方が後を絶ちませんでした。

多くの方からお越し頂きありがとうございました。
そして、古巻さん+夜間工房のみなさん、繭の家に関わった集落の皆さんとこへび隊のみなさん、大変お疲れ様でした。

10/3から11/23の間、「繭の家」は土日祝日のみですが、開館します。

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夜間工房のコカです。
芸術祭終了、お疲れ様でした。
今回は前回より多くのお客さんに足を運んでもらってありがたい反面、集落のみなさんにとっては予想以上に大変なことも多かったと思います。
しかし繭の家を通じて、多くの人が養蚕の歴史や土地の記憶に触れ、蓬平集落を知り、人と人との繋がりを作られて、あたたかい気持ちで帰られたのではないかと想像しています。
僕もマユビトのデザインを通じて、そのお手伝いを微力ながらできたことを幸せに感じます。
ありがとうございました。

古巻です。
最終日のレポート、ありがとうございました。
最終日に現地に伺うことができず、気になっていたところでした。
たくさんの方にお越し頂き、有り難いです。
今回の芸術祭では、駐車場のことをはじめ、集落の方にはいろいろご迷惑もおかけしましたが、
快く御支援頂き、感謝しています。
今月、下旬には会期終盤に痛んだ作品の修復も兼ねて、また蓬平を訪れるつもりです。
今後ともよろしくお願いします。

桑畑の様子

2009年09月09日 桑の栽培

古巻です。
先日は、自分のカメラでの撮影に失敗してしまいましたが、
ノブオさんにカメラをお借りして撮影した写真が送られてきたのでご紹介します。

上の写真は8月29日撮影のものです。

下の写真は、4月下旬に集落の方が植えて下さった時の写真ですが、ずいぶん桑畑らしくなったのがよくわかります。

こうして桑の木が成長する姿を見ることができるのはいいものですね。
繭の家を訪れる方の多くは、まだ桑畑まではあまり注意深く観察はされていないようですが、次回また訪れる際には、大きくなった桑の景色に気づいて頂けるんではないでしょうか。
樹を植えるということは、成長するものと共にあることであり、我々にポジティブな力を与えてくれます。
農業や園芸にもそのような効果もあると思います。
また、このような畑をつくりだすことができる、農業に生きる人々のたくましさも尊敬に値します。

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夜間工房のコカです。

今度作られる国土地理院の地形図に、桑畑のマークが復活するといいですね。