内海昭子の「たくさんの失われた窓のために」(2006)と「遠くと出会う場所」(2009)も今回、同時に見ることができました。二つセットで鑑賞することで、作者の思いや指向性がよりクリアに伝わってきたような気がしました。
「たくさんの失われた窓のために」は、写真のとおり、清津川流域のなだらかな台地風景を金属製の「窓」のフレームで切り取って見せる作品です。美術における窓というのは重要なアイテムで、そもそも絵画というのは、「切り取られた窓」です。具象画とは、あたかも窓の向こうに世界があるように見せるイリュージョン術のことですが、ふだん鑑賞者は窓自体の存在に気づいていません。しかし、絵画の表層を境に「こちら側」と「向こう側」は厳然と隔てられ、鑑賞者は「心の眼」で向こう側へと彷徨うこととなります。これが絵画の鑑賞行為です。
フレームだけが屹立しているこの作品は、私たちが住んでいる世界を改めてフレームを通して見つめ直す作品です。地元の人にとってはふだん見慣れた風景、あるいは旅行者であれば眼前に広がる雄大な自然風景が、ここで対象化されます。この作品には鑑賞用のお立ち台があって、そこからフレームの中の風景を望むことができますが、作家はこのアングルでの風景だけを特に見せたかったわけではないと思います。我々は屋外でスケッチをする時に両手(それぞれの親指と人差し指)で四角いフレームを作って構図を決めますが、それと同じようにして、それぞれみんなで風景を見つめ直してごらん、と問いかけているように思います。
また、この作品で重要なのはカーテンです。薄い半透明のカーテンは、わずかな風をはらんでふわりとなびきます。無論、カーテンは風を目に見える形とするために設置されているものです。「こちら側」と「向こう側」をやすやすと行き来できるのは、風です。この風のように我々も心を解放して自由に行き来してみては、というメッセージを私は感じました。
しかし、さらに踏み込んで考えてみると、「向こう側」とは、単なる風景のことなのでしょうか。この作品は純粋な風景批評の作品なのでしょうか。無論、それでもいいのですが、それ以上の何かもここに見出す余地もあるかも知れません。それはもう一つの作品との関連で考察してみたいと思います。
もう一方の作品「遠くへ出会う場所」は、打って変わって「梯子」の作品です。一面のソバ畑の中に一本道があり、道の両側は色とりどりの花で彩られています。その道の突き当たりに、天へと伸びる「梯子」が架けられています。梯子は結構高くて10mほどで、野外彫刻であり、またモニュメントのように見えます。私が訪問した時期はまだソバの花が咲いていませんでしたが、白いソバの花が一面に咲き渡るとさぞ美しかろうと思うと同時に、一瞬、それは死後の世界のイメージにも重なるのではないかと思いました。夕暮れ時に見たからそのように思ったのかも知れませんが、美しい花畑と、天へと伸びる梯子と言えば、存外遠くないかも知れません。
作品を実見する以前、作家さんにお話しを伺う機会があり、その時は「いろいろな植物を植えて、将来的にはこの梯子に絡ませていきたい」とお聞きしていたので、全体としては植物の伸張する力、生命感をこの作品に宿していきたいという意図をそこに感じました。なので、「死」とは正反対の「生」のイメージなのですが、植物が光を求めて上へ上へと伸びていくように、我々も手には届かない何かを常に求めており、その手に届かない何かとは、人によって違うと思いますが、誤解を恐れずに言えば、「失ってしまった大切なもの」もその一つではないかと思います。もちろん、見る人それぞれが「遠く」に何があるのかを想像するのが、この作品の正しい見方なのでしょうが、私がこんな風に思いこんでしまうのは、作者が我々夜間工房と同じく神戸出身だからです。作者は高校生の時に阪神・淡路大震災を体験しています。前作の「たくさんの失われた窓のために」というタイトルについても、どうしても震災との関連を思い浮かべてしまいます。
真偽のほどは分かりませんが、少なくとも両作品は、いずれも「向こう側」への憧れや思いを、身近であるが象徴的な構造物(窓、梯子)をメタファーとして用いて、水平・垂直という形において、それぞれ見事に造形化したものであると私は考えています。また鑑賞者は、これらの作品と向き合うことで、鏡を見るように自己の内面と出会えるのではないかと思います。
いつか内海さんの作品を地元神戸でも見てみたいものです。
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夜間工房のコカです。
古道具屋さんで窓、額、梯子、扉はマストアイテムです。若い頃は「こんな古いもの使えるのか?」と疑問に思っていたのですが、今はそれらが持っている物語性を感じることができます。それは「こちら」と「あちら」の境の装置であるということです。古さは失われた時間を、外国製なら異世界への憧れも加味されるでしょう。
昔は村の境は別世界であり、異世界であったと思います。やすやすと越境する「鳥」や「風」に特別のものを感じたでしょうね。カーテンは「訪れ」の気配をあらわす、現代のとてもいい装置だと思います。
梯子の向こうの植物が繁っていて、梯子の上からでないと向こう側が見えないというのもいいですね。
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古巻です。
作家さんご本人からソバの花が咲いている写真を送って頂きました。やはり、がらっと雰囲気が変わりますね。美しいです。
作家さんによると、「死や死者、また失われたものを想うことは決して悲しいことではなく、生きるために大事なことと思っています」とのことです。